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2014年9月13日 (土)

2014年9月13日付け小説朝日新聞朝刊社説『論じることの原点を心に刻んで』を読んでの感想

 2014年9月13日付け小説朝日新聞朝刊社説『論じることの原点を心に刻んで』を読んでの感想.
 
以下感想
 朝日新聞の読者は、自称、高学歴、高年収が多いとしてる。それは自社の公式広告関連のHPに掲載されている。
http://adv.asahi.com/modules/ad/index.php/about.html
 高年収は別にしても、朝日新聞の言うところの賢い人が読めばその偏りを気づくであろう。ならば異論を唱え、当然、その声は、朝日新聞にも届いているはずである。
 にも関わらず、声の欄は何故か賛同、悪くても擁護レベルに留まる。
 そんな状態が何年続いてるのか?改めて見直すべきであろう。


>1997年に一度検証をしながら、吉田清治氏の証言を虚偽だと断定し記事を取り消せなかったのは、反証となる事実や異論への謙虚さが欠けていたからではないか

 最初の報道から現時点で32年。
 朝日が検証したとされる1997年から2014年まで17年。
 慰安婦関連が忘れ去られたのならいざ知らず、訂正もせず、17年も煽り続けた以上、誤報とは言えない。捏造である。
 『捏造を続けた』認識が必要であろう。

 捏造関係者が何時までも要職についていること事態、一般企業ではあり得ない。 
 早急に人事を一新すべきであろう。捏造で出世では、またやる。既にやっているかもだ。

 挺身隊=慰安婦としたのは、明らかに朝日新聞の責任である。日本の責任ではない。
 仮に1人年10万円の慰謝料、17年で170万円。
 20万人×170万円=3400億円。

 支払いは、全て朝日新聞、及びその株主(社員が多いらしいけど)の責任でお願いします。
 当然、日本政府の訂正関連にかかった活動費、あるいはこれからかかる活動費の支払いも朝日新聞持ちだ。

 家電や車メーカーなどと違って製造物責任なし=何やっても、報道の自由、表現の自由で許されるって発想が根底あるのだろう。
 論じる前に、記事として品質管理だ。
 低品質の記事を前提に論じるようでは、本質と違う問題を論じることになりかねない。
 これは、読者から見れば本質のすり替えとなる場合もある。慰安婦問題などよい例であろう。


>その結果、被害者の救済という一番大事な問題の解決が置き去りになっていく

 既に金を払っている。決着も付けようと合意も得ていた。
 しかし、改めて、こんな表現を使うから、読者は混乱、更に間に入る側に無心の隙を与える。
 不毛を煽る朝日新聞。
 そうそう、嫌韓本だけでなく反"朝日"本も大人気。


>私たちはこれからも社説などを通して言論人としての使命を果たしていきます。  

 社説は、今も20人で議論しているのだろうか?
 1人か2人のパワーゲームで決まりじゃないの?
 本当に議論する気があるなら、4〜5人で議論すべきであろう。

 J−CASTニュース『朝日新聞、誤報記事に法的措置匂わせる「抗議書」 フリージャーナリストらに何度も送りつけていた』
 http://www.j-cast.com/2014/09/12215845.html?p=all
 まさにパワーゲーム。
 しかし、事実は、パワーゲームで決まってはいけない。
 そんな認識が朝日新聞にあるのだろうか?

 意見は、多数で集約せざるを得ないが、事実=記事は、パワーゲームとは無関係でなければならない。
 17年も誤報を放置、これもまたパワーゲーム。
 

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