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2015年11月24日の2件の投稿

2015年11月24日 (火)

2015年11月24日付け小説朝日新聞朝刊社説『子の問題行動 画一指導の危うさ』を読んでの感想を書く

 2015年11月24日付け小説朝日新聞朝刊社説『子の問題行動 画一指導の危うさ』を読んでの感想を書く。

以下感想。
 大阪市教育委員会が取り入れたゼロトレランスに関する社説。
 教育にアンタッチャブルを求めている。

 案については、
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/cmsfiles/contents/0000278/278101/siryou30610.pdf
に掲載されている。


>「ルールだから」とマニュアル的に対応するのは無理があると言わざるを得ない。

 そんな話は分っていること。
 それでも、何故、アメリカが取り入れたのか?
 そして、それでも、何故、大阪市が取り入れることにしたのか?
 そんな視点が乏しく、取り入れた大阪市教育委員会を批判している。


>だが、そもそも問題行動にどう対処するかは学校自身が決めることだ。

 それでは、学校の対応が区々となる。区々となると、あの学校では対処してくれたのに、と親からのクレームになるのが昨今。
 個別指導は大切だが、親や子供が差別と感じるような対応では問題であろう。
 上記PDFを見ると、『事前に明示したルールの公平な適用』とある。これは、大切なことだろう。

 また、学校が満足に決められないから、目安として決めたとも言えるし、指導する側も目安があれば指導しやすい。
 


>ならばなぜ、保護者に監視させるような仕組みまで作るのか。

 2015年11月24日付け社説『チーム学校― 多様な大人が関わろう』の一番最後に次の文がある。
『地域や家庭がかかわり、「チーム社会」として子どもを見守ることが欠かせない。』

 見守るとは、事が起こらないように注意して見ること。ボーと眺めることではない。
 監視は、見張ること。注意深く見渡して番することだ。

 見守ると監視の境界は、何処にあるのだ。
 言葉としては、見守るには、監視も含まれる。逆に監視も見守るに含まれる。


>だが、統一的な基準を作るにしても、あくまで教員間の指導の目安にとどめるべきではないか。 

 余り裁量を与えると、差別のクレームがつく。
 あいつの親は##だから甘いとか.....。 
 

>強く再考を求めたい。

 再考すべきは朝日新聞ではないのか?

 現在問題がある。
 それを改善するには、何か手を打つべき。
 反対ばかりでは、時が過ぎ、問題放置だ。


※ 午後追記
 出版社のHPに次のPDFがある。
『アメリカの学校再生を見る』
https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/csken/pdf/46_03.pdf

 朝日の社説には、ゼロトレランスの目的すら記されていないが、その目的は『善良な大多数の生徒の学習環境を守るということである。』(原文ママ)とされている。
 規律の為に、(要約)
① 合理的な規則を整備する
 善良な生徒の為に規律違反生徒に罰を与える。
② 自らの行動に責任を持つ
 人間性の証の為に、規則違反行為に対して、必ず罰を与える。自由と民主主義社会を発展させるための重要な要件でもある。
③ 権威を尊重するにある。
 善悪の判断を的確に教え、善に対する権威を尊重の意味。悪を憎み批判する態度を育成する。

 これらは、間違ったものではない。
 
 1997年クリントン大統領は、‘クリントンの呼びかけ(President Clinton’s Call)’の中で、ゼロトレランス方式を確立すべきであると呼びかけたとされている。
 権威の大好きな朝日新聞としては、注目すべき点であろう。 
 善良な大多数の生徒の為に。

●30年以上の慰安婦誤報(捏造)に対する私的制裁
外部から誤りを指摘されて30年以上放置、自社で誤りを気づいて15年以上放置。誤報と言うより捏造の印象。
よって、朝日デジタルトップの広告掲載企業の不買。但し、被災地支援、その他エボラなど人道関連分野は除く。
 朝日新聞は買わない。協賛、主催のイベントなどはボイコット。かたりつごう朝日新聞問題。語りが騙りにならないように。朝日新聞問題を風化させてはいけない。
 尚、私は現実と妄想の区別がつきません。誤読、勘違いも多々あり。

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2015年11月24日付け小説朝日新聞朝刊社説『五輪のメダル 政府目標は必要か』を読んでの感想を書く

 2015年11月24日付け小説朝日新聞朝刊社説『五輪のメダル 政府目標は必要か』を読んでの感想を書く。

以下感想。
 2014年7月24日付け社説『五輪選手強化― 足腰鍛える論議こそ』より。
『日本オリンピック委員会(JOC)は金メダル数世界3位を目標に掲げているが、』(原文ママ)。

 政府より選手に近いJOCが目標を掲げている(JOCは2013.12に出している)。
 競技団体個別の目標もあるだろう。
 大会組織委員の目標もあるだろう(これは既にある)。
 その集約として、あるいは個別に政府目標があってもよいだろう。 
 

>そんなスローガンに並んで、気がかりな目標が盛り込まれた。

 何と大げさな。
 

>ただ、ちょっと立ち止まって考えたい。メダル数の目標を決めるのは、国の役割なのだろうか。

 役割でもある。
 目標は、国として、選手に対する応援であり、国民に対する応援でもある。
 目標なしでは、政府として、メダルなんかどうでもよいと選手に言うようなものだ。
 あるいは、政府として、金は出すけど期待していないからとも取れる。


>政府が率先してメダル主義に走るのに等しい。

 朝日新聞の五輪報道では、不人気、最下位協議に重点に徹した報道を期待したい。お手本が見たいところだ。
 勿論、朝日新聞は、企業だから、メダル主義を煽ってもよい。メダルが取れないものは報道しない自由もOKだ。


>スポーツの価値は自発的に目標をさだめ、継続的に努力する過程にある。

 しかし、自発性だけでは勝てない。
 様々な、期待や応援があって、プラスとなる。


>選手たちが競技場で織りなすドラマに触発されて市民スポーツが裾野を広げるのも、また五輪の大きな効能だろう。

 しかし、スポーツは、結果が伴わないと裾野は広がらない。
 例外を除けば、一部の競技者のもので留まる。


>目標はけっこうだが、それはスポーツ界自らが、各競技ごとの現在の成績や、めざすべき水準を考えて決めればいい。

 2013.12.3付けJOC『東京五輪の目標は金メダル獲得数世界3位+全競技入賞 』 
http://2020tokyo2020.com/jp/2013/12/japan-aim-gold-medal-rank-3rd.html

 これもスポーツ界自らが掲げた目標だ。

 
>勝利だけでは語れないスポーツと人間の関係を、今後5年間でじっくり考えてみたい。
 
 スポーツは、勝利だけでは語れない。
 しかし、最下位の選手の5年後とメダルクラスの選手の5年後は大きく異なるのではないのか。
 その競技の振興には、一部例外を除き、後者の存在が大きくなることは容易に想像がつく。
 

2015年8月2日付けスポニチ『遠藤五輪相 東京五輪目標メダルは「金30個、合計80個」 』
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/08/02/kiji/K20150802010857880.html
より。
 スポーツライターの意見として、『「絶対に目標は高くないとだめですよ。僕らも予想する時に少なく言う人いるでしょ?あれ失礼ですよ」と同調した。』(原文ママ)
 このような「低い目標は、失礼」の考え方もあるのだ。
 まして、朝日新聞の目標なしなど、失礼の極みとも言えよう。

 五輪相の見解も記されている。『メダル獲得戦略について「隣の韓国はメダルを獲る戦略がはっきりしていて。団体種目はサッカーでも1個。しかし射撃とか比較的世界で層が薄い個人種目に集中して強化する。メダル獲るということに限定したらそういう戦略もあるんです」と説明。』(原文ママ)
 朝日新聞の大好きな韓国は、『政府が率先して』独自の戦略を取っているようだ。

 
 考え方は様々ある。
 目標がある−>実現する為には、設備や人材が必要−>予算を組む。
 並行に近く進む場合もあろうが、どちらかが先の場合もあろう。
 全体があって、まわるのだ。


●30年以上の慰安婦誤報(捏造)に対する私的制裁
外部から誤りを指摘されて30年以上放置、自社で誤りを気づいて15年以上放置。誤報と言うより捏造の印象。
よって、朝日デジタルトップの広告掲載企業の不買。但し、被災地支援、その他エボラなど人道関連分野は除く。
 朝日新聞は買わない。協賛、主催のイベントなどはボイコット。かたりつごう朝日新聞問題。語りが騙りにならないように。朝日新聞問題を風化させてはいけない。
 尚、私は現実と妄想の区別がつきません。誤読、勘違いも多々あり。

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