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2016年5月 3日 (火)

2016年5月3日付け小説朝日新聞社説『個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない』を読んでの感想

 2016年5月3日付け小説朝日新聞社説『個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない』を読んでの感想。

以下感想。
 憲法前文の一般的と言える解釈は、 
 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi032.pdf/$File/shukenshi032.pdf
にある。
 解釈を必要とする異常。


>「私たちはどんな考えを持ってもよい」「どんな会合をやっても、どんな団体をつくっても自由である」

 もはや責任を負わない自由でもある。


>国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が受け取る――。憲法前文が明記するこの主権在民と代表民主制の原理は、フランス革命など近代の市民革命によって獲得された「人類普遍の原理」だ。

 前文に同じ表現の文はない。
 憲法上の表現は、『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。』になっている。

 また、憲法の前文には、よく指摘されるように妙な表現が存在する。
『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』
 憲法は、現在より日本語として正当であったと思われる時代に作られた文面とは思えない。
 所謂、翻訳調で押し付け憲法と言われる理由の一つでもある。

 
 『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて』。
 同盟国が攻撃を受けて、それを無視って解釈はないとも言える。


>「戦後レジームからの脱却」

 過去、歴史修正主義のレッテルを貼るために使われている言葉。
 今日の社説では、教育改革に対して使われている。

 しかし、『戦後レジームからの脱却』とは、元々は、2006年の自民党総裁選の安倍陣営公約で、公務員制度改革の意味で使ったものである。
 2007年の施政方針演説では、幅を少し広げて、憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交、安全保障などの基本的枠組みを見直すとしたものである。
 第二次安倍内閣以後、首相自身も、国会の場において『戦後レジームからの脱却』とは国内体制を指すと発言している。
(2015/3/1付日本経済新聞朝刊『「戦後レジーム脱却」の虚実 特別編集委員 伊奈久喜』を参考)。

 教育基本法は、2006年(H18)に改正された後、民主党政権となったがその民主党も改正は行っていない。
 『「我が国と郷土を愛する」「公共の精神に基づき、社会の発展に寄与する」。』が間違っていると判断したならば、改正もあったであろう。
 

>高校の教科書に初めて適用された今年の検定では、戦後補償や世論が割れる集団的自衛権の行使容認などで、政権の主張が反映された記述になった。 

 『戦後補償』とはオブラートに包んだような表現。本当は、慰安婦問題と書きたいのだろう。

 政権に限らず、日本としての主張があって、他国の主張もある。
 他国の主張ばかり重んじられ、日本としての主張も満足にない教科書の存在を問題と考えない方がおかしい。
 少なくとも日本としての主張がなければ、交流時に議論も十分にできない。議論の勝ち負け以前の問題である。
 

>文科相による国立大への「国旗・国歌」の要請は、学問の自由や大学の自治にかかわる問題だが、

 この程度で、学問の自由や大学の自治に関わるとは.....国立大学をまるで独立国扱い。
 それは別にしても、『「国旗・国歌」の要請』程度で、学問の自由が無くなるほど、そんな弱い精神でその学問を学んでいるのか。何となく、在籍か。国費の無駄と言えるが、それも学問の自由。


>草案では国家が過剰なまでに前面にせり出す。後退するのは個人の自由や権利だ。

 過剰とは多数の国民の判断ではない。一部の判断である。

 2016/5/1付日本経済新聞 朝刊『人権に「公の秩序」の制約』では次のように記されている。
 『「公共の福祉」とは、人権相互の衝突を調整する原理。自民党は「意味が曖昧で、分かりにくい。人権制約は人権相互の衝突の場合に限られない」として「公益および公の秩序」に置き換える。』

 自由とは、独立があって成立するものだ。他国に支配されての自由はない。


>草案前文の憲法制定の目的は「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だ。

 勢い余って嘘とまでは言わないが、ご都合解釈。
 『良き伝統』?何処からそんな解釈が成り立つのか?

 『末永く子孫に継承する』だけでは意味が薄い。
 どんな目的があろうが、戦争とは相手国があって日本がある。相手による侵略があれば、末永く子孫に継承されるのは、自由のない日本である。

 独立を維持する為には、時に個人の自由や権利が一時的に束縛されることもあるだろう。
 しかし、一度、他国に独立を奪われれば、その自由を取り戻すには、多くの年月が必要で何世代もかかる場合もある。
 不戦を誓っただけでは自由と独立は確保できない、継承もできない。
 今だけを取るか?世代を経た自由を確保する条件を確保するか?


>だが、たとえどんなに多くの人が「道徳的に正しい」と考える内容であっても、憲法によってすべての国民に強いるべきものではない。

 何故、道徳だけ?
 日ごろから、朝日新聞がすべての事柄を憲法上で強いるのは「悪」と言うならば理解もできるが....

 第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 税負担もすべての国民に強いるべきものではないって。
 それとこれとは違うって、そして例外が増える。
 

>他国の攻撃から国民を守るのは国家の役割だ。かといって権力が理想とする国家像や生き方を、「国柄だから」と主権者に押しつけるのは筋が違う。

 呆れるような筋違いは朝日新聞。「国柄だから」とは関係がない。
 自由と独立を守れるのは国家であり、それを守ろり支える国民の意思である。


>それを許してしまえば、「普遍の原理」を社会に根付かせてきた歴史の歩みを、後戻りさせることになる。

 朝日新聞の主張する『普遍の原理』とやらは、社説には『主権在民と代表民主制の原理は、フランス革命など近代の市民革命によって獲得された』と記されている。
 元は、革命の為のものである。

 また、冒頭に記した国会図書館の資料では、『人類普遍の原理』について次のような解説をしている。
 『「人類普遍の原理」とは、全世界の人類に共通に妥当する普遍的な原理をいう。この憲法がこのような人類普遍の原理に基づくとしているのは、日本のみに妥当する日本固有の原理を排斥するものであることを意味する。そして、その日本固有の原理とは旧憲法の基礎原理とされていた「国体」の原理を指す…。』
 
 国体の是非はともかく、国体の否定とは、現行憲法成立前まであった「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承」よりも「人類普遍の原理」を優先することでもある。
 これは、占領国が主導して作成した憲法だから当然との見方もできる。


 朝日は、その主張として『押しつけは筋違い』と言うならば、その根拠が首相の著書の内容の否定では余り薄い。
 歴史上の流れは、GHQは、憲法原案が明治憲法の枠を出ないことを知ると、僅か9日でマッカーサー草案を作成した。これが、押しつけと言われる所以でもある。
 そして、国会審議も半年。
 特化していない限り、この期間では少なくとも『熟議が足れない』と表現される状態であったと言えるだろう。
 但し、GHQ案は、民間の「憲法研究会」がベースの説もある(2016/5/2付日本経済新聞 朝刊『「憲法改革」踏み出そう 制定の歴史忘れずに』より)。
 「憲法研究会」の要綱は、
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052/052tx.html
にある。
 
 「押しつけ憲法論」否定は、
http://alter-magazine.jp/index.php?%E2%80%95%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%8D%89%E6%A1%88%E8%A6%81%E7%B6%B1%E3%80%8D%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%81%A3%E3%81%A6%E2%80%95
が詳しい。但し、「押しつけ憲法論」否定派の定説かは不明。


 朝日が、「押しつけ憲法論」否定に「憲法研究会」を持ち出さず、敢えて首相の著書を利用しているのは、「憲法研究会」の話は根拠として弱いのかも知れない。


 ところで、現行憲法を読んでもそのまま解釈できない条文が少なくない。
 第九条の『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』だが自衛隊は存在し、しかも憲法学者の6割は自衛隊を違憲扱いの異常。
 第二十四条の『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し~』なので男女の合意を読めるが、何故か憲法学者は想定外だから同性婚OKと解釈。しかし、男女であっても法律で制限される年齢制限は?、動物婚、ロボット婚、アプリ婚もあるだろうが、想定外だからOKであろう。そもそも、国民の定義に、人とは書いていない。

 せめて、護憲を求めるならば、 
①現代文に訳す。
②解釈を明確にして、本文とセットにする。
③新たな解釈を導く場合は、国民投票とする
などそんな護憲を求めるべき。
 勝手な解釈をさせたくないと言うならば、それは政府だけではなく国民にも縛りを与えるべきである。
 70年かけたご都合解釈の成れの果て。日本国憲法。


●30年以上の慰安婦誤報(捏造)に対する私的制裁
 外部から誤りを指摘されて30年以上放置、自社で誤りを気づいて15年以上放置。誤報と言うより捏造の印象。
 朝日新聞は買わない。協賛、主催のイベントなどはボイコット。かたりつごう朝日新聞問題。語りが騙りにならないように。朝日新聞問題を風化させてはいけない。

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