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2017年5月28日 (日)

2017年5月28日付け小説朝日新聞社説『憲法70年 学問の自由は誰のために』を読んでの感想/『学問の自由』はベアテ・シロタ・ゴードン案に存在

 2017年5月28日付け小説朝日新聞社説『憲法70年 学問の自由は誰のために』を読んでの感想。

以下感想
 憲法23条は、『学問の自由は、これを保障する。』
 その後、24条、 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立~
 25条、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を~
 26条、『すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。』

 23条と26条をセットで語られることもあるが、何故か連番ではない。


>直接には「学問をする人」、つまり学者や研究者を対象にした条文だ。
 
 学問研究の自由、研究発表の自由、及び教授の自由と解釈されている。
 研究者の定義は、憲法の条文にない。どこからが研究の扱いなのか?の定義もない。


>戦前、時の政権や軍部は一部の学説を「危険思想」「不敬」と決めつけ、学者が大学から追われるなどの弾圧が相次ぐなかで日本は戦争への坂道を転げ落ちていった。

 煽ることで、V字回復を実現した朝日新聞など。


>その歴史への反省が、現行憲法が独立の条文で学問の自由をうたうことにつながった。

 あたかもマッカーサー草案に対して、日本が付け加えたように取れる表現である。
 しかし、高岡法学 第30号 2012 年3月『日本国憲法草案における理論的背景』
http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170528084226.pdf?id=ART0009884938
によれば、ベアテ・シロタ・ゴードン案に『学問の自由』(13/29ページ)は含まれている。

 
>実際には多くの大学で「改革疲れ」が起きた。

 国立大学が楽をしたいだけ。
 自ら資金集めをせず、黙っていても金が転がり込む税金による財源。
 現行制度では、努力が重んじられている。


>だが、世界の主要学術誌への論文で日本発の貢献は質、量とも減り続けている。中国など新興国が伸び、欧米先進国は地位をほぼ維持している状況でだ。

 最近では、
 2017/5/26付けJ-CAST『独医学誌で中国の不正論文107本! 過去最多の取り下げに』 
https://www.j-cast.com/2017/05/26299040.html?p=all
の不正論文事件もある。

 http://www.nippon.com/ja/features/h00127/
に論文の統計が掲載されている。
 数の上では、日本は伸び悩み。
 中国は人口が日本の10倍以上であるが、論文数は4倍に至らない。

 質が高い。
 その判断基準は難しいが、一つは優れた論文は、引用される機会が多くなることであろう。
 引用される機会の増減で判断するべきであろうが、朝日社説ではその質の基準が見えない。

 文科省のHP
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201001/detail/1296363.htm
に『論文の被引用回数に関する国内外の状況』(図5)が掲載されている。
 1990年までは日本と欧州は同等であったが、以後、欧州の引用が増えている。
 TOP10での引用は、中国の増加はあるが、それ以上に米国の落ち込みが著しい。

>他方、政府は政策課題研究への誘導は熱心だ。端的な例が、大学での軍事研究に道を開く「安全保障技術研究推進制度」の拡充である。

 これも、学問の自由の選択肢の一つだ。


>研究者の側も「何をしてもいいのが学問の自由」などと考えるとすれば誤りだ。

 綺麗ごと。


>そのなかで、学問研究の世界について、多数決原理が適用できない世界だと指摘している点に注目したい。

 そんな例もある。
 しかし、多くの人が間違っていると指摘しながら、正しいと言い張り、後から誤りでしたの例もある。
 2014年8月5日付け朝日新聞『「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視』なんて例もある。


>「文系不要論」に象徴される近視眼的な実利志向は論外だ。

 朝日新聞としては、また、蒸し返して混乱を楽しみたいのだろう。

 2015/10/3付日本経済新聞 朝刊『「人文系廃止は誤解」 国立大通知、火消しに躍起 文科相「対象は教員養成系」』の報道もある。再編が通知の狙い。


>学問の自由の重要性を多くの人々が実感できるよう、社会との対話をさらに活発にする。学問の自由を負託された学術界には、そうした努力も求めたい。

 2015/9/14付日本経済新聞 夕刊『大学の文系学部、無くなる?』より。
『どうして文系学部の見直し議論が出てきたのですか。「マスプロ型で専門分野に閉じこもる文系教育が、社会のニーズに合わなくなってきたからです」』(原文ママ)。

 マスプロ型、つまり、大量生産の人材。
 その上、細分化された専門分野の殻に閉じこもる内向き思考教育。
 これでは、故に再編目的も『文系不要論』に思えてしまうのだろう。


●30年以上の慰安婦誤報(捏造)に対する私的制裁
 外部から誤りを指摘されて30年以上放置、自社で誤りを気づいて15年以上放置。誤報と言うより捏造の印象。
 朝日新聞は買わない。協賛、主催のイベントなどはボイコット。かたりつごう朝日新聞問題。語りが騙りにならないように。朝日新聞問題を風化させてはいけない。

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