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2020年7月31日 (金)の2件の投稿

2020年7月31日 (金)

2020年7月31日(金)付け小説朝日新聞社説『ナイル川ダム 平和的な利水の調整を』を読んでの感想

 2020年7月31日(金)付け小説朝日新聞社説『ナイル川ダム 平和的な利水の調整を』を読んでの感想。

以下感想。
 今日のもう一つの社説は、『高校の国語 文学と論理 境を越えて』である。
 朝日社説では、尖閣周辺で中国当局の船が108⽇連続で確認される中、正面から取り上げない日々が続く。
 尖閣問題よりも、『高校の国語 文学と論理 境を越えて』や『ナイル川ダム 平和的な利水の調整を』の方が、朝日新聞に重要なことである意思を示しているってことだ。

>上流で巨大ダムを建設するエチオピアと、下流のエジプト、スーダンの対立である。

 6/22付けafp『ナイル川の巨⼤ダム問題、スーダンが対⽴激化に警鐘』より、
スーダン『合意⽂書への署名はダムへの注⽔の前提条件だ』
エジプト『国連安全保障理事会に協議への介⼊を求めた』
エチオピア『合意の有無にかかわらず、来⽉から注⽔を始める⽅針を発表』 
 
 このafpの記事によればエジプトは、⽔需要の約97%をナイル川に依存しているようだ。
 7/8付けの日経FT訳『ナイル流域国で緊張⾼まる アフリカ最⼤のダム巡り』でも『⽔をナイル川に完全に依存するエジプト』の表現が見られる。
 
 このFT訳の記事によれば、『エチオピアは⻑年、⾃国が排除された、ナイル川の⽔利⽤に関するエジプトとスーダンの1959年の合意に怒りを募らせてきた。』の背景がある。
 しかし、この「積年の恨み」が朝日社説からは見えない。

 7/23付け産経ビズ『エチオピアのナイル川ダム「今年の貯水完了」 生活直結の下流エジプト危機感』より、『エジプトに対する歴史的な反感もにじむ。ロイター通信によると、エジプトは1929年、かつて同国を保護領とした英国との間で、「水の配分に影響を与えるナイル川上流の事業を拒否する権利がある」との協定を締結した。』。根は深い。

 7/17付⽇本経済新聞 朝刊『エチオピアのダム、ナイル川流域の⽕種に 貯⽔開始、エジプトは⽔不⾜恐れ反発』より、『ダム建設は多くの国⺠が⼩⼝の債券を買い⽀援してきた。多⺠族国家のエチオピアで「すべての⼈が賛同できる数少ない事業で、アビー⾸相は妥協していると⾒られたくない」と⽶中東研究所のミレッテ・マブルーク・シニアフェローはみる。』。エチオピアの確かな民意。

>どの国も短慮に走るべきではない。国連やアフリカ連合などは、話し合いによる解決を粘り強く促してほしい。

 しかし、その話し合いの間もダムの注水は続く。

>世界の最貧国とされたエチオピアは、この20年で経済規模が10倍以上に。それでも電気が届くのは人口の半数以下といい、ダム発電への期待は高い。

 一方、エジプトは、原発に頼ることになる(2022年までに完了する予定)。

>2年後のダム完成をめざすエチオピアは今月に試験的な貯水を始めると公言していた。

 既に降雨に伴い「今年分の貯水完了」の報道がある。

>人類にとって貴重な資源を地域全体で共有し、生かす道を探ることが肝要だ。

 故に利権が生まれる。
 


●注
 妄想癖のある個人の感想であり、断定的に取れる表現含め、誤読、誤解、誤認、その他も含まれる可能性もある上での感想。これも芸術だ。

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2020年7月31日(金)付け小説朝日新聞社説『高校の国語 文学と論理 境を越えて』を読んでの感想。

 2020年7月31日(金)付け小説朝日新聞社説『高校の国語 文学と論理 境を越えて』を読んでの感想。

以下感想。
 今日のもう一つの社説は、『ナイル川ダム 平和的な利水の調整を』である。
 朝日社説では、尖閣周辺で中国当局の船が108⽇連続で確認される中、正面から取り上げない日々が続く。
 尖閣問題よりも、『高校の国語 文学と論理 境を越えて』や『ナイル川ダム 平和的な利水の調整を』の方が、朝日新聞に重要なことである意思を示しているってことだ。

>日本学術会議の分科会も先月末、懸念とそれを踏まえた改善策を提言した。「『論理』と『文学』を截然(せつぜん)と分けられるものだろうか」との指摘に、共感する人は多いのではないか。

 切っ掛けは、1か月前ってことか。

 日本学術会議『高校国語教育の改善に向けて』
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t290-7.pdf を参考に現在と新指導要領の違いをまとめる。
 共通必履修科目が現在は「国語総合」1科目で、新指導要領では「現代の国語」・「言語文化」の2科目とする。更に、選択科目が現在は「現代文」「古典」「国語表現」の3種、新指導要領では「論理国語」「文学国語」「古典探究」「国語表現」の4種に分類される。
 朝日社説では、共通必履修科目の存在が分かり難い。その上、冒頭、新指導要領の選択科目が、「論理国語」「文学国語」だけと思わせるような表現がされている。
 
 日本学術会議の提言は、共通必履修科目「総合国語」を設け、選択科目を「思考と言語」「言語と創造」「言語文化」「国語表現」の4科目ってものだ。共通必履修科目は現状維持、選択科目として、「古典」のカテゴリはなくてもよいってことだ。
 「古典」なしで、いいのか?
 
> 例えば大岡昇平の「レイテ戦記」は膨大な史実と考察に基づく作品だが、全集では
「小説」に分類されている。

 『小説』を数十年間実話のような扱いをして、後に誤報として訂正した新聞社があった。

>しかしだからといって、学ぶ対象を「『文学的な文章』を除いた文章」に限る理由はない。

 新指導要領を決めた側の理由の説明がない朝日社説。
 一部メディアでは、「論理的表現」が求められるにも関わらず、「文学的表現」重視で、想像まで織り交ぜ誤解を与えかねない表現を多用しているように思えてならない。
 つまり、新指導要領は学び直せと言っているのだ。

>そもそも論理国語がめざすような思考力や表現力は、国語だけで養われるものではない。

 出来ていない一部メディア。


●注
 妄想癖のある個人の感想であり、断定的に取れる表現含め、誤読、誤解、誤認、その他も含まれる可能性もある上での感想。これも芸術だ。

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