« 2021年1月12日 (火) | トップページ | 2021年1月14日 (木) »

2021年1月13日 (水)の2件の投稿

2021年1月13日 (水)

2021年1月13日(水)付け小説朝日新聞社説『党首討論 今年こそは定期開催を』を読んでの感想。

 2021年1月13日(水)付け小説朝日新聞社説『党首討論 今年こそは定期開催を』を読んでの感想。

以下感想。
>そんな双方の思惑が背景にある。
 と言う印象付けをしたい思惑があると思えてしまう。「首相、野党の代表がそう明言した」とするようなエビデンスがない社説。

>一方の野党も、より長時間、首相を追及できる予算委員会の集中審議を優先しがちだ。そんな双方の思惑が背景にある。
 2019年5月9日付け朝日社説『国会改革論議 党首討論から始めよう』より、『一方で野党は、党首討論より首相に長く質問できる予算委員会の集中審議を要求しがちである。』
 社説傀儡一味の認識に問題がありそうだ。「特定野党は、首相から質問を受ける必要のない予算委員会の集中審議を要求しがちである。」であろう。質問を受ければボロだらけ。党首討論では、メディアもボロ隠しの編集が大変だ。

>たまに実現しても、首相が質問をはぐらかしたり、持論を延々と述べたりするのでは、議論はかみあわない。立憲民主党の枝野幸男代表が3年前、安倍前首相との論戦後、「今の党首討論はほとんど歴史的意味を終えた」と語ったのはそのためだ。
 基本、噛み合わないのは、質問能力の問題である。一方、丁寧に説明しても『持論を延々』の扱いにすり替え。

 2019年5月9日付け朝日社説『国会改革論議 党首討論から始めよう』より、『立憲民主党の枝野幸男代表は昨年5月、「今の党首討論は歴史的意味を終えた」と述べた。質問に正面から答えず、自分の言いたいことだけを延々と語る安倍首相が相手では、まともな討論にならないという批判だ。』ー>今日は、『ほとんど』が追加された。
 では、当時の朝日社説、2018年5月31日付け『党首討論 安倍論法もうんざりだ』では、この『歴史的意味を終えた』についての記載がない。
 2018年5⽉30⽇付け立憲民主党HP『党⾸討論後、「だらだらしゃべる総理に、今の党⾸討論の歴史的意味は終えた」と枝野代表』より、『枝野代表は、~今の党⾸討論という制度の歴史的意味は終えたことが今⽇の討論を通じてはっきりした」』。
 立憲民主党の記事では、『ほとんど』の言葉はない。今日付けの朝日社説の勝手な追加なのか?

 ところで、枝野氏『外交安全保障関連の課題は重要なことだが、与野党で討論するのに適したテーマだとは必ずしも思っていない。』。これは驚きだ。余程都合が悪いテーマなのだろう。

>しかし、与野党のトップが国民の前で、大局的な見地から、議論を深める意義が失われたわけではない。
 双方の大局が一致していれば意味がなる。首相の大局が国民の為でも、野党が自らの椅子の為では意味がない。

>今であれば、新型コロナウイルスの感染拡大への対応に党派を超えて知恵を出しあったり、コロナ後を見据えた社会のビジョンを競ったりする貴重な機会にできるはずだ。
 通常国会や臨時国会で十分に出来ていない以上、100%出来ないと断言出来る。

>まずはこの約束を、きちんと果たしてもらいたい。
 都合よく切り取り継ぎはぎして報道をする機会が欲しいってこと。特定野党のボロ隠しは腕の見せ所。

>政治と国民の距離を縮めるうえでも役立つに違いない。
 距離を広げる為の惜しみない努力をしたいってことか。

●注
 妄想癖のある個人の感想であり、断定的に取れる表現含め、誤読、誤解、誤認、その他も含まれる可能性もある上での感想。これも芸術だ。

| | コメント (0)

2021年1月13日(水)付け小説朝日新聞社説『大川小の教訓 子供を守る決意ともに』を読んでの感想。

 2021年1月13日(水)付け小説朝日新聞社説『大川小の教訓 子供を守る決意ともに』を読んでの感想。

以下感想。
>これを受けて県教委が設けた有識者会議が、昨年末に報告書をまとめた。
『宮城県学校防災体制在り方検討会議』https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/supoken/arikata.html、https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/824437.pdf、https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/824803.pdfのことか?
 宮城県の県教委の東日本大震災関連情報 https://www.pref.miyagi.jp/site/kyouiku/0311higaitop.html からのリンクがない?ようで本気度が疑われる。

>教育関係者はもちろん、防災に携わる全ての人にぜひ目を通してもらいたい。
 メディア関係者が、今一度、目を通し100%の実行すべきもの。宮城県・県教委『報道機関の皆様へのお願い「被災した児童生徒等に対する取材について」』https://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/12030.pdf 『被災者の心身の回復のために,十分な配慮が不可欠であり,また被災した児童生徒のトラウマ(心的外傷)も懸念されます。』。

>子どもの安全を守るため、学校には地域住民よりはるかに高い水準の知識と経験が求められる。
>日々の授業や部活動、生活指導などで教職員の負担は重い。それでも、報告書にあるように「いかなる災害においても、児童生徒等の命を確実に守る」のが教育関係者の使命だ。
 現場の教師に過度な負担をかけるだけ。
 最適解は、三陸地方で古くから伝わる「てんでんこ」であろう。確かな避難先を決め、年に何度も訓練が必須。みんな集まってお手てつないででは、二の舞の可能性が高い。
 報告書の概要、全文ともに、「てんでんこ」の言葉がない?。『児童生徒等が防災を自分事として捉え,いかなる災害においても的確に状況を判断し適切に行動できる力が備わるよう,災害時における自分自身の避難計画である「マイ・タイムライン」や「災害・避難カード」の作成』が相当するものなのか?

>災害が起きたら順にどう行動すべきかを子ども自身が考える「マイ・タイムライン」づくりなど、家庭でもできる取り組みも含め、対応力の養成に努めてほしい。
 報告書では「マイ・タイムライン」の作成を呼びかけているが、作成した「マイ・タイムライン」を学校、担任、家族で、どのように情報共有をするのかが見えない。共有化なしでは、暫く行方不明と可能性もある。

>子どもの命を守ることは、地域の人の命を守ることにも通じる。
 だからこそ「てんでんこ」。


●注
 妄想癖のある個人の感想であり、断定的に取れる表現含め、誤読、誤解、誤認、その他も含まれる可能性もある上での感想。これも芸術だ。

| | コメント (0)

« 2021年1月12日 (火) | トップページ | 2021年1月14日 (木) »